視覚情報が歩行姿勢の安定性に及ぼす影響

伊藤精英研究室 杉目里穂

ヒトはモノを持っていても身体のバランスを保ち,モノを持ったままでも安定した歩行をすることが出来る.例として,「容器の液体をこぼさずに歩行する」という行動を挙げる.グラスに入った飲み物や,バケツの水等,液体を持ち歩くことは誰もが経験したことがある行動の1つだ.容器の中の液体をこぼさずに歩行するためには,身体の各関節を協調させ,手先のブレを小さくし,容器の角度を一定に保つ必要があるとされている.つまり,液体をこぼさないためには全身の安定が必要であると考えられる.
安定した歩行をするためには予期的に身体を制御する必要がある.遠方の状況を把握する必要がある.遠方の状況を理解せずに歩いていると,先読みした歩行戦略が取れない可能性が高く,障害物等が避けられないため,転倒しやすいと考えられる.身近な例だと歩きスマホが挙げられる.歩きスマホ中は視線が画面に集中し,周囲の環境を十分に認識出来ていないことが知られている.そのため,他の人と衝突してしまったり,障害物を認識できずぶつかったり転んだりしてしまう.
先に述べたような,歩行と視覚の関係性や歩行戦略に関する研究は数多く行われてきた.しかし,視覚や歩行に関する研究では,障害のない歩行路やトレッドミル上での歩行だったため,障害のある歩行路や同時タスクの多い日常生活に近い環境下での実験ではなかったと考えられる.また,視線計測からヒトが歩行中にどこを見ているのかを調べる実験はよく見かけるが,強制的に視覚情報を制限することによってヒトの動きがどう変わるのかといった研究は少ない
そこで私は,容器の液体をこぼさないように歩行するという日常的な課題を用いた上で,歩 行中に視覚を強制的に制限し,それが安定した歩行に与える影響を明らかにすることを目的とした.

実験では,歩行課題としてMTS課題を用いた.MTS課題は,イラストのような1m×10mの歩行路に2色以上の10cm四方の色ターゲットを15枚ずつランダムに配列し,指示された色のみを踏みながら前進していく課題のことだ.本実験では,1m×15mとし,赤,青,黄,緑の4色の色ターゲットを各21枚用意した.実験協力者はフェイスシートを記入後,水が容器のふちまで入ったカクテルグラスを利き手に保持し,MTS課題を行った.また,身体のブレを計測するために実験協力者の腰に加速度センサを取り付け,歩行している様子を撮影するためにビデオカメラを3台用意した.
視覚情報を制限し,視覚情報の違いによる歩行の違いを明らかにするために条件を4つ設定した.
1つ目は視覚が制限されない通常条件
2つ目は足元のみが見える足元条件
3つ目は保持しているグラスと足元のみが見えるグラス条件
4つ目は遠くの状況のみが見える遠方条件
実験協力者はこれら4つの条件を連続して行い,これを2回行った.
また,条件の順序によって結果が依存しないように,通常条件から始めるグループ,足元条件から始めるグループ,とグループを4つに分けた.
分析では,歩行の安定性の指標として,歩数と歩行速度,RMS値を求めた.歩数と歩行速度は動画から,RMS値は得られた加速度データから算出した.RMS値が低いほど安定性が高いとされている.また,容器に液体をこぼさずに歩行するという課題の達成度として,水をこぼした回数を数えた.

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